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グルジアの歴史 |
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聖ニノ |
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聖ニノの墓はカヘチ地方のボドゥベ修道院で見ることができます。聖ニノの象徴はぶどう蔓からなる十字架で、グルジア正教のシンボルです。聖ニノはグルジア正教会においては最も尊敬されている聖人です。
カッパドキアの小さな町コラストリでニノは生まれました。ローマ帝国では有名な将軍ザブロンの一人っ子でした。親戚には聖ゲオルグやエルサレムの大司教ホウブナル1世がいます。
子供時代の彼女を育てたのは、親戚とサラ・ベトレヘムリアンカという修道女でした。叔父の援助でローマに出たニノはイエスの上着が収められているイベリアでのキリスト教の福音の伝道を思い立ったのでした。聖母マリアが彼女にぶどう蔓の十字架を与え、言いました。
「イベリアへ行って、そこでイエス・キリストの福音を広めなさい。主の恵みがあります。私はあなたの敵に対しては盾となります。そこに主の教えの旗を立てなさい。」 イベリアまでの道中、ニノは北部アナトリアとアルメニアのいくつかの村でキリスト教を広めました。
ニノが古代グルジアのイベリア王国の国境にたどり着いたのは320年ごろと言われています。 今はアハルカラキと呼ばれる小さな町に十字架を立て、首都ムツヘタにたどり着きました。 当時コーカサスでは隣国ペルシアが強大で、イベリア王国もその影響を受けていました。国王ミリアン3世も国民もアルマズ神とザデン神を崇拝していたのです。ニノがムツヘタに到着するとすぐに、女王ナナが彼女を引見したのです。
大病を患っていた女王ナナは、ある程度キリスト教に関する知識を持っていました。ニノの力によって快復した女王は彼女から洗礼を受け、キリスト教徒となりました。国王ミリアンは新しいニノの教えには寛容なものの、ニノとは距離をおいていましたが、キリスト教のコミュニティーは確実に国中に広まっていったのです。
伝説によれば、狩猟の途中、国王は突然、盲目になり、一切が暗闇となり、絶望の果てに、ニノの神に祈りを捧げたということです。
祈り終わると、たちまち、光が現れ、国王は宮殿に戻ることができました。この奇跡を体験して、国王は聖ニノの指導の下に偶像崇拝を放棄して洗礼を受け、イベリア王国で最初のキリスト教の王となり、327年、アルメニアについで、2番目にキリスト教を国教化させたのです。 |
http://en.wikipedia.org/wiki/Saint_Nino
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